BLOGうつわ知新2020.03.23

卯月 -桜-

屏風に見る桜の美学うつわと料理は無二の親友のよう。いままでも、そしてこれからも。このコンテンツでは、うつわと季節との関りやうつわの種類・特徴、色柄についてなどを、「梶古美術」の梶高明さんにレクチャーしていただきます。

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梶高明

梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。

卯月 -桜-

「願わくば 花のしたにて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月(もちづき)のころ」

これは「2月(如月)の満月のころに花の下で死にたい」と、西行法師が桜への思いを歌たったものです。如月(2月)と読まれていることから、これを梅花を見ながら死にたいと願った歌ではないだろうかと疑問を持つ方もあるのではないでしょうか。ところが、辞書を引いてみると、「単に『花』と表現されている場合は『桜』のことを表す。」と解説がされています。

私も古美術を商う以前、「花」は植物全般の「花」を表すものとしか理解していませんでしたから、このことを知って驚かされました。それ以来、和歌の意味を調べる際に、「花」=「桜」と解釈しておりますが、不都合を生じることはまずありません。

日本国花のひとつでもあり、場所取りまでしてお花見に出かける一大イベントを巻き起こし、「花」=「桜」と解釈されるくらいの存在であるにもかかわらず、「桜」は「松竹梅」「四君子(梅・竹・蘭・菊)」...などのような吉祥を表す植物に含まれていません。それよりも桜花の下で気がふれるような物語が作られ、短命な「はかなさ」の象徴とされ、根元には屍が埋められているとまで噂され、人々に強烈に愛されながらもネガティブな印象もあわせ持つ不思議な存在が「桜」なのです。

西行の歌の2月15(如月の望月のころ)はさておき、私の日ごろの暮らしの中で「桜」は4月のイメージです。過去のデータを調べれば、例年4月上旬に桜は満開になっていますから、桜の季節は4月と思っている方も多いでしょう。ですから4月に向けて、桜をあしらった帯を締め、雲錦模様(桜と紅葉をあしらった図柄)のうつわが使われるわけです。

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「時代本間六曲犬追図屏風」江戸時代 作者不明

桜は屏風画の世界でも春を表現する重要な題材として描かれてきました。今月はそんな桜を描いた屏風画をご紹介させていただきます。最初にご紹介する屏風は約400年前、桃山~江戸初期に描かれた「時代本間六曲犬追物(いぬおうもの)図屏風」です。

犬追物は、武家たちの鍛錬を目的として行われた競技会です。サッカーコートより少し小さめの敷地に犬を放ち、犬を傷つけないように配慮した矢を用いて武芸を競いました。

鎌倉から室町時代にかけて随分と流行した犬追物ですが、江戸時代に入って、弓矢に代わって鉄砲が重要視され、五代将軍徳川綱吉が生類憐れみの令を制定したことにより、開かれなくなっていきました。満開の桜の下に様々な階層の人たちが集い、その華やかな時候に合わせて開催されたのであろう犬追物、双方を楽しんだ様子をうかがうことが出来だけでなく、当時の着物や髪型の流行までも興味深く見せてくれます。

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またこの屏風の所有者のことを推察すれば、犬追物を大変愛し、きっとこの屏風をしつらえて、人を招き会食なども楽しんだことでしょう。そういった意味ではそれも、うつわと呼ぶことはできなくとも、食事等を楽しむための道具のひとつだったと考えることができるのではないでしょうか。

さらに今回は屏風をもう一つご紹介いたします。

「時代本間源氏物語図屏風一双」です。名前にある、「時代」というのは古い時代物であることを意味し、「本間(ほんけん)」というのは、座敷の鴨居の下までの高さを示し、おおよそ170 cm強の高さを表しています。

「一双」というのは一対と同義語で、多くの場合、一対の左側が春から夏を、右側が秋から冬を描いています。

この屏風は源氏物語54帖の内の異なる帖を左右に分けてひとつづ描いています。

残念なことに左側はどの帖を描いたのかを断定することができないのですが、桜満開の宇治橋とその周辺を描いたものだろうと思われます。

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「時代本間源氏物語署図屏風一双」 江戸時代 作者不明

右側は、「野分(のわけ)」の帖を描いており、秋の強風(台風)によって屏風が倒れそうになり、女房たちの慌てている仕草が描かれています。

屏風は折り曲げて飾ることにより、奥行きを演出するのだと言われていますが、完全に伸ばしきった状態で鑑賞しても、遠近を感じられる工夫がされていて、遠近法が未発達な中においても、絵師たちが知恵を絞って描いたことをうかがうことができます。

屏風の中には、所有者の権力を誇示す目的で描かれたものや、物語を語り聞かせるための教育的な絵本のような役目を果たすものもある中、ご紹介したニ種の屏風は、人をもてなすために描かれたのであろうとうかがい知ることができます。

つまり、食事の時のうつわの役割に似た目的で使われたものだと言えるかもしれません。

器に込められた桜への憧憬

つぎは桜を描いたうつわをご紹介いたします。

最初に白井半七の作品で「模乾山寄向付(けんざんうつしよせむこうづけ)10客のうちより、貝合(左)、桜狩(右)を選んでみました。

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白井半七造 模乾山寄向付より、貝合(左)と桜狩(右)

貝合(かいあわせ)2枚貝の形のうつわに、桜と芽柳(めやなぎ)が描かれています。
貝はその内側に絵を描いて、絵合わせの遊びに用いられました。

それは男女の和合のようであり、この世で一組しかぴたりと合わさるものがない、つまり一組の男女が一生添い遂げるという意味を持たせているのです。

このことから雛祭りに貝の形をしたうつわを用い、蛤のお料理をいただいたく習慣が生まれたのです。

貝の形に桜と芽柳を描くことで、3月の桃の節句へと向かうまだ寒い時期から使い始め、お花見の時期を経て、桜が散って柳の新芽がまぶしい初夏の頃までの長い季節を楽しめるように工夫がされているのです。

それとは逆に桜狩のうつわは短い季節を的確にとらえて楽しませてくれるうつわになっています。

名前は桜狩と書かれていますが、野山も描かれていることから、「吉野山」と命名されてもよいうつわだと思います。

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十六代永樂即全造 乾山写絵替 細向付より、雲錦(左)と吉野山(右)

次のうつわは筒状の形をしていますが、これを深向付(ふかむこうづけ)または筒向付(つつむこうづけ)と呼び、16代永楽即全によって作られたものです。

先ほどの白井半七のうつわと同じく尾形乾山のうつわの意匠より作られたものなので「乾山写絵替細向付(けんざんうつしえがわりほそむこうづけ)」となっています。

左側は雲錦模様、右側は吉野山を描いています。万葉の時代から桜は吉野、紅葉は龍田川という名前が当て嵌められてきましたが、その両方の桜と紅葉を描くことで春にも秋にも使えるよう雲錦模様(うんきんもよう)というものが考案されたのでしょう。

最後に黒い椀に朱でさくらを描いた吉野椀をご紹介いたします。

吉野は桜で有所でありながら、修験道の実践の場として、大変重要な地でもありました。ですからこの椀は、豪華な蒔絵を施したものとは違い、むしろお寺の什器(備え付けのうつわ)として生まれ、きらびやかな装飾は控えた椀になっています。

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吉野椀 作者不明

屋外は桜が満開、料理にも華やかな春の食材が並び、その中で、あえて華美な装飾を抑えて存在感を表している椀です。華やかさと地味さ、甘さと辛さや苦さ、相反するもの料理の中でうまく表現されているのが日本の料理だと思います。

この吉野椀が愛される理由はその控えめな存在感なのでしょう。

今月はうつわの枠を大きく外れ、屏風にまで話が及びました。

ひと昔前の日本人は茶の湯を通じて、物の扱い方、鑑賞法を学んでいたわけですが、茶道が堅苦しく、窮屈で儀式的なものと捉えられがちな今日。食事を楽しむ中で、使われるうつわや道具に目を向けて、教養を高めていく楽しさが、見直されているように感じるのは私だけでしょうか。

食知新

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