BLOGうつわ知新2020.04.30

皐月 端午の節句

屏風に見る桜の美学うつわと料理は無二の親友のよう。いままでも、そしてこれからも。新しく始まるこのコンテンツでは、うつわと季節との関りやうつわの種類・特徴、色柄についてなどを、「梶古美術」の梶高明さんにレクチャーしていただきます。

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梶高明

梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。

皐月 端午の節句

5月の時節を代表する花と言えば「あやめ」「しょうぶ」「かきつばた」が思い浮かびます。
これらの花は、詳しい人でなければ区別がなかなかつかないらしく、「あやめ」と「しょうぶ」はいずれも漢字表記では「菖蒲」と表すほどに近しい花です。これらの花はうつわやお軸の図柄としてもたびたび登場いたしますので、今回はこれらの植物と美について少しお話をさせていただきます。

陶芸家の北大路魯山人は「あやめ」を「あや免」と箱書きに記し、あやめを題材にした多くの作品を残しています。
その中からまずは、「あや免鼠志野鉢」を紹介いたします。
この作品は、縁の2箇所に「窯裂(カマギレ)」、つまり焼成中の歪みによって、縁の部分が裂けてしまったものを金継ぎ(金を用いて補修すること)してあります。
私たちの業界では、うつわが完成した後に、人の過失によって破損した場合は「キズモノ」と呼ばれても仕方ないのですが、窯の中で発生したことは、自然のものとして、ありのまま受け入れようとする考え方があり、金を用いて修理した景色も、アクセントのひとつとして、面白いなぁ、と私は思うのですが、人によってはこれを「キズモノ」同様に嫌う方もおいでになります。

さて、この「窯裂(カマギレ)」について、魯山人はある逸話を残しています。業界の大先輩にお聞きしたことがありましたので、皆様にもお伝えしておきましょう。

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魯山人 鼠志野鉢「あやめ」

魯山人は昭和30年頃から、祇園の新門前通にあります京都美術倶楽部を会場に、作品の発表と販売を幾度か行っていましたが、それより少し以前に、京都女子大学近くの東山の山裾に佇む、裏千家の桐蔭席と呼ばれる茶室をお借りして作品を発表していたことがあったそうです。
そこへ私どもの同業のご主人が訪れて、次回からは京都美術倶楽部で開催してはどうか、と提案されたことがあり、その際に、たまたま陳列会場の端に無造作に放置されていた「窯裂(カマギレ)」のある作品を目に留め、これも金継ぎ補修して販売されたら良い、とアドバイスをされたそうです。
それ以来、魯山人は自ら金継ぎをして、作品を発表するようになったと言うことです。
さて、このエピソードを聞いて、改めてこの「あや免鼠志野鉢」を見てみると、このうつわはまさにそういう経緯で生まれた品物だろうと思えてきます。
ところで、魯山人はこの世に20万点以上の作品を残したと言われています。
私が親しい陶芸家に、生涯に制作する点数を尋ねたところ、5万点くらいだろうと教えてくれました。
彼は超人気作家で、決して作品数の少ない人ではありません。それを踏まえたうえで魯山人のことを考えると、その作品数の圧倒的な多さがおわかり頂けるかと思います。
作品数が多いと、希少性が失われ、値打ちが下がるのでは、とお考えの方も、多くおいでになるかもしれません。
しかしながら、作品数が多いからこそ、広く人の目に触れ、多くの人に所有され、市場を形成できたわけですから、作品のクオリティが保たれているのであれば、むしろ多作であることはその作家の評価を上げる効果につながると言えるでしょう。
しかし魯山人がそれだけ多作であれば、同時に多くの破損した作品や失敗作、「窯裂(カマギレ)」を起こしたものも多数生み出されたことはご想像いただけるかと思います。
私もいままでに、そういった作品をたくさん扱ってまいりましたが、それらはどれも「完品(かんぴん)」とは呼ばれなくとも、充分すぎる魅力をたたえた作品でした。

一方で、魯山人が多くの作品を残せた理由は、それは本人が作らず、職人に作らせたからだと言う人がいます。しかし、私が以前読んだ書籍の中に、魯山人の作品は、全て本人が作った作品である、と明言している文章がありました。そしてそれはおそらく真実でしょう。
というのも、彼が言わんとする「作る」という行為は、単に轆轤をひくということではなく、絵付を施すということでもない、つまりは自分は直接手を下していなくとも、土を選び、その配合割合を決め、釉薬の調整を指示し、形や造形にも関わっていく、それらを総合的に自分はコントロールしているのだ、ということなのだと思います。
料理屋のご主人が、野菜を作り、魚を釣り、お出汁をひき、料理を盛り付け、といったすべてをひとりで行わず、時には誰かに委ねはするものの、最終的に自分の責任において吟味しつくし、自らの料理と呼ぶにふさわしい水準に引き上げてお客様に提供するのと同じことではないでしょうか。

魯山人の作品は全て、魯山人自らの責任の下で完成をさせて世に送り出したもの、ということであって、自分が全ての工程を、誰の手も借りず行ったという意味ではないのです。
自分で責任をもって作品を完結させているからこそ、魯山人の作品は、彼のこだわりが大変強く反映されていますし、それゆえ多くの作品が陳列されているオークション会場においても、彼の作品は一目で見分けることができるのでしょう。

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織部釉『あやめ十字皿』

先にお話ししたように、魯山人は大変多作なアーティストでしたから、おそらくは傷物として世に発表されなかった作品も多く存在したことでしょう。
私も何点かそういったものを持っていて、ここに紹介する「織部釉菖蒲十字皿」はまさにそれに当たると思います。
素焼きの段階で対角線上に割れてしまっていますが、織部釉をうまく裂け目に沿って掛け、裂け目を塞いでいます。

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このうつわが私の手元にやってきた時は、織部釉の表面が曇っているようで、まるですりガラスのような、光沢のないうつわでした。
いつだったか、私が陶芸家たちと一緒に開催している勉強会の中で、うつわの表面をサンポールで拭き取ると、酸が作用してくすんだうつわの表面の透明感が増す、という話が出たことがあります。そこで、うつわをひと晩サンポールに浸しておいたところ、写真のような美しいかがやきが蘇りました。
魯山人は割れたうつわをゲモノとして扱わず、割れた部分さえ見どころにしてしまおうと目論んだ、そんな魯山人独特の考えの証がこのうつわだと思っています。

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永楽十四代得全造『光琳絵様 色紙皿』

次にご紹介するうつわは「永楽十四代得全作光琳絵様色紙皿」です。
このうつわは20客絵替わりで揃っており、それぞれに季節の草花が描かれています。
その中に、この時期に使ううつわとして、杜若(かきつばた)を描いた「八ツ橋図」があります。
杜若が咲いている湿地の上に、簡単な足場としての板が渡してある風景が描かれているのですが、この風景は古くから日本人に愛されてきた伊勢物語の中の有名なエピソードを表しています。
平安時代、在原業平が京の都に住まうことが難しい状況になり、お供を伴って東国へ下っていく情景が伊勢物語の中で語られています。そして、ちょうど三河の国辺りを通りがかったところで、このうつわに描かれた「八ッ橋」の風景に出くわしたそうです。大変美しい景色であったのでしょう、「か・き・つ・ば・た」という言葉を、節の先頭の音に絡めて「唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」と歌を詠み「着慣れた唐ころものように気心の知れた妻を都に残してはるばるこんなところまで来てしまった」と、未練を込めて残した歌や心情を絵に置き換えて、幾度となく描かれてきたのがこの「八ツ橋図」なのです。 うつわを通して、日本の古典文学や和歌に触れられることの一例です。

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樂六代左入作の「柏皿」

次は柏の葉の形をした向付をご紹介いたします。
端午の節句に、みなさんは柏餅をいただかれることと思いますが、柏の葉はお正月のゆずり葉と同じ意味を持っていて、柏の葉は枯葉となっても木から落ちず、新しく葉が出てくれば古い葉が落ちて入れ替わる。つまり、「子が育つまで親は息災である」「家系が途絶え事がない」など、神様に見守られた世代交代を暗示する植物なのです。また柏(かしわ)は、米を炊(かしぐ)ときに柏葉を下に敷いたことからその名があると言われているので、男の子の成長を祝う端午の節句に、赤飯を炊き、餅を包むのに柏の葉を使ったことから、この時期の使われる向付になったのでしょう。

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今月も最後にお時候の掛軸をご紹介いたします。
江戸の後期に活躍した三村晴山の手による「菖蒲甲虫図幅」です。
何気なく見ているだけでは青葉の根元に甲虫が休んでいるだけの構図ですが、描かれているものの意味を読み解くと、また違った姿が見えてくるのです。
このお軸の中では、菖蒲の葉は刀を、甲虫は兜を表しています。菖蒲は尚武(しょうぶ)、つまりは武道や武勇を重んじる精神を意味しており、まさに端午の節句にふさわしい植物なのです。 5月の掛軸に武者絵などを用いたり、甲冑を飾ったりもいたしますが、それに比べると、なんと和やかで洒落た表現なのだろう、と感心します。

さて、ここまで5月の季節を様々な作品を通してお話しさせていただきましたが、感性だけで季節を楽しむのではなくて、知識や教養が、より深い美の世界を見せてくれることを感じ取っていただけたでしょうか。
是非皆さんも、暮らしの中にそんな美を探してみてください。

食知新