BLOGうつわ知新2020.05.29

水無月

屏風に見る桜の美学うつわと料理は無二の親友のよう。いままでも、そしてこれからも。 このコンテンツでは、うつわと季節との関りやうつわの種類・特徴、色柄についてを、 「梶古美術」の梶高明さんにレクチャーしていただきます。

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梶高明

梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。

水無月

6月といえばいよいよ夏。同時に雨の季節ですが、それとは裏腹に、水無月(みなづき)とも呼ばれ、文字の上では水の無い月と表されます。

その理由は諸説ありますが、田に水を引き込むため、川の水位が下がってしまうので、水無月と呼ぶのだという説や、「水の月(みずのつき)」という意味を「水な月(みずなつき)」と呼んでいたのが水無月に変化したとも言われています。

さて、一般に「天気が悪い」と聞かされると「雨だな」と日本人の誰もが思うことでしょう。

しかし、出張先のタイで、「きょうは雨降って、涼しくていい天気だね。」と友人から思わぬ言葉を聞かされたことがあります。

友人によると「タイには春・夏・雨季と3シーズンがあるが、雨季こそが実りをもたらす大切な季節だ。だから雨季に入ると嬉しい。」のだそうです。

「雨が嬉しい。」「雨が良い天気。」そう聞かされると、雨や蒸し暑ささえ、考えようによっては楽しむ方法があるかもしれないと思えてきます。

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京焼 編笠向付

さて、今月最初にご紹介するうつわは、京焼の「編笠(あみがさ)向付」です。

現代では使われることの少ない編笠ですが、昔はどのような使われ方をしていたのでしょうか。

今でも雨天のお茶会では露地笠と呼ばれる編み笠を用意して、茶室までの道のりを案内しますし、お祭りでも行列の中の装束として編笠を見かけるもありますが、せいぜいこれくらいのことでしょう。

「笠地蔵」の昔話では雪の中でも登場しますが、「編笠」は夏の季語として使われるので、やはり冬のものと言うより、夏場の日除け•雨具の意味が強いようです。

そんな編笠をうつわの意匠に用いようとした思いは、雨や強い陽ざしを、単に悪天候とは捉えず、緑が深まり、実りに至るまでの植物の大切な成長の季節として扱った様子の表れではないでしょうか。

次に京焼についてお話をさせていただきます。京焼はその名前の通り、京都で生産された焼き物を指しますが、千利休の求めに応じて生み出された楽焼だけは京焼に含めないとされます。さらに掘り下げると、美術愛好家たちが「京焼」と言う場合は、磁器質の清水焼を指さず、粟田焼・仁清焼・乾山焼などの施釉陶器を指すのに使っているようです。

この京焼の一番の特徴は、描かれた絵の巧みさにあると思います。

筆数の多い少ないにかかわらず、その施された絵の品の良さ、デザイン力の高さは、これを焼かせた発注主、つまり数寄者の文化度の高さを示すようですが、絵付けだけでなく、轆轤や細工の巧みさもうつわの品格を高めていると言えるでしょう。耐久性・実用性に背を向けてまで、壊れていく危うさ、はかなさも含めて、数寄者の感性を満たしたうつわが京焼です。

読者の皆様の中には、本当にそれほど数寄者の求めを反映したうつわなのかどうか、疑問に思う方もあるでしょうから、もう少し詳しく解説してみましょう。

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この「編笠向付」は、轆轤で真円に引き上げた碗を、両手で左右から押して変形させ、そうしてできた狭い先端部の形をわずかに尖らせて整えています。

それだけでなく、縁に高さの変化をつけて、うつわに前後の方向を与え、また、編み上げた風情や表現を強調するために口縁部に細かな刻みを入れてあるのが見て取れます。

裏面の高台は低めに抑え、絵付けも錆絵にわずかに染付を添える程度に抑えて、わびた肌色の地色が編笠を品よく綺麗に見せるように、よく考えられています。まさに綺麗さびという完成です。こうしてうつわを眺めるだけでなく、読み解くむ感覚で見ていくと、いままで気づかなかったうつわの本当の姿が見えてくるかもしれません。

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春海バカラの鉢3

夏のかおりが漂い始め、水辺が恋しくなると、ガラスのうつわが活躍する季節です。

ガラスは、ビードロ・瑠璃(るり)・玻璃(はり)・義山(ぎやまん)と、製法や歴史的背景によって呼称は数々あります。

瑠璃と玻璃はそれぞれ、インドから渡ってくる仏像・仏具に嵌められていた石を意味します。瑠璃は青みがかった透明感のある宝石から、玻璃は水晶から生じたガラスの異称に由来するようです。

ビードロは1543年に種子島に鉄砲が伝来して以降、ポルトガルとの交易が盛んになり、そこで伝えられたガラスを称する和製ポルトガル語です。

しかしこの頃は薄い吹きガラスしか造る技術がなかったため、現代でもビードロは吹きガラスを意味する傾向があります。

さて、義山(ぎやまん)ですが、島原の乱をきっかけに、キリスト教布教を伴う西洋諸国との交易は国政を危うくすると徳川幕府は考えました。そこで、布教をせず交易のみ行うと約束したオランダ船のみ、出島への入港を許可しました。このオランダ船によってもたらされたのが、厚いガラスにカットを施した切子(きりこ)ガラスであったとされています。これをオランダ語ではダイヤモンドを意味するディアマントと呼び、それを日本人が義山(ぎやまん)と呼ぶようになった訳です。

かつて平安時代までは日本でもガラス造りは行われていたようですが、それ以降、技術は忘れられ、ガラスは舶来の貴重なものという感覚が私たちに宿るようになりました。

さて、現代の私たちが義山(ぎやまん)と呼んでいるうつわはどんなものか、ちょっと見てみましょう。

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春海バカラの向付と酒杯

明治34(1901)大阪の時計宝飾商の安田源三郎が欧州から帰国した際に持ち帰ったバカラ製のクリスタルガラスを、古美術商の春海商店店主、春海藤次郎に見せたことによって、バカラ社に茶懐石の道具として発注されたのが所謂「春海バカラ」と呼ばれるものです。

このうつわたちの美しさは当時の数寄者を虜にし、春海商店以外からもバカラ社にうつわが発注され、平安以降再起した日本のガラス産業にも大きな影響を与え、茶の湯の道具から懐石のうつわへと、義山の流行が広がっていったのです。

カットを施したこの分厚いガラスをクリスタルガラスと呼びますが、英語ではlead glass(レッドグラス)と言い、つまり鉛ガラスを意味します。ガラスの成分に30%近くの鉛成分を含ませることで、硬さと透明感が生まれ、カットを施すことでダイヤモンドのごとくの強烈な輝きを放ちます。ただでさえ他のうつわでは代用できない、特別な輝きと透明感を持った鉢に、さらに色ガラスを被せてカットしたものも存在するので、そちらも併せてご紹介します。

これらを手に入れた明治時代の数寄者の喜びがいまでも伝わるような美しさではないでしょうか。やがて数寄者たちは、菓子鉢に留まらず日本独特の蓋向付や、酒盃までも発注するようになっていきます。いまでは夏の定番のようになった義山のうつわたちにもこんな歴史があることを覚えておいてください。

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最後に、今月も掛軸を一本ご紹介させていただきます。

まるで子供の落書きのようなこの絵は、日本を代表する画家の一人、熊谷守一の手によるものです。

彼は裕福な家庭に生まれながらも、「画壇の仙人」とも呼ばれるほどの極貧生活を送り、また彼の住まいから、長い年月外へ出かけることなく、その家の庭で日々起こる些細な出来事を見つめ続ける暮らしを送った人です。

この絵は雨だれを描いたもので、家の樋(とゆ)から雫が落ちて、水たまりに跳ねる様子を描いています。

水の跳ねる姿が彼の興味をそそっただけなのでしょうか。私は、もう少し違うように感じました。 描かれている跳ねた水滴は、まるで仏様が座っているような姿にも見えます。もしかすると、こんな些細な日々の出来事の中にも、彼は仏が宿っていることを感じていたのかもしれません。

コロナウイルスの問題で、自宅待機を強いられているこんな時期。私たちは家に留まって、 熊谷守一の生き方から学ぶものがあるのかもしれません。

撮影:竹中稔彦

食知新

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