BLOGうつわ知新2021.02.27

魯山人と志野2

季節ではなく備前や織部、古染付といった焼物ごとにうつわをご紹介。京都・新門前にて古美術商を営む、梶古美術7代目当主の梶高明さんに解説いただきます。 さらに、京都の著名料理人にそれぞれの器に添う料理を誂えていただき、料理はもちろん器との相性やデザインなどについてお話しいただきます。

今回は「志野」のなかでも魯山人の器に特化して梶さんにレクチャーいただき、
京都和食界の雄「祇園さゝ木」の佐々木浩さんのほか、グループ店の「祇園 楽味」水野料理長、「鮨 楽味」野村料理長に料理をおつくりいただきました。

「魯山人の志野」の解説については、魯山人と志野1「魯山人と志野について」魯山人と志野2「作品解説」の2回に分けて配信いたします。また3回目には、佐々木浩さんによる魯山人のうつわとのコラボレーション料理をご紹介します。

魯山人がつくる「志野焼」の魅力をお楽しみください。

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梶高明

梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。

魯山人と志野2

 「古典に学ぶが、古典に媚びず、新しいを盛り込んで、新しさに溺れない」、「個性を前面に出した作品にせず、道具(うつわ)であることを忘れない」、「職人の眼で作らず、料理人の発想も備えつつ、数寄者の喜ぶうつわを目指す」。
 魯山人の作品からはこんな思いが聞こえてくるようです。

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秋草彫の手平鉢(あきぐさ ほりのて ひらばち) 直径23.5cm

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志野草平向(しの くさ ひらむこう) 直径16cm

 この2種類の作品は写真では伝わりませんが、実はサイズが大きく異なっています。名前も、平鉢と平向(ひらむこう)で分けられています。どちらも5客組の数物でありますが、「皿」と箱書きに書かれていないのは、魯山人が呼び名にこだわったからだと、作品を多く扱った私の経験から思えるのです。つまり、魯山人は呼び名で作品の品格が変わると思っていたようなのです。

 大きい方は銘々の皿としても使えるのですが、ゆったりとした豊かさが感じられる作品なので、一客だけで鉢として用いるに足りると思ったのでしょう。鉢と呼ばせると、茶室の中で皆さんが取り廻すうつわとしても用いることが出来ます。これを皿と呼んでいたなら、サイズが大きいから、これ幸いと無理やり鉢に転用したのかと、まるで背伸びして鉢に格上げしているような印象を与えてしまいそうですから、最初から鉢と箱に記したのでしょうね。
 小さい方も皿とは呼ばず、平向(ひらむこう)と箱書きしています。向付が茶室の中で皿よりも重い役目を担ううつわであることをわかっていたからでしょう。彼の作品でも「皿」「沙羅」と名付けられているものもありますが、皿を平向と強く意識して使い分けている作家は、私の知る限りでは魯山人以外ほぼ皆無です。
 育ちが良かったわけではない魯山人が、豊かな暮らしの数寄者や知識人の中で学び取った感性が、こんなところに現れているのでしょうね。

 このふたつのうつわは、ぽってりと肉厚に作られ、帽子の鍔(土星の環のようでもありますが)のように縁を平らにして、中央の見込み部分を緩やかに凹ませた「鍔型(つばがた)」という、魯山人の十八番の形をしています。裏面に高台や足は付けずに、削りで整えたきれいな平面を出すような仕上げもしていませんから、形的に几帳面な印象ではなく、やわらかな印象を受けます。裏面中央部分は窯に入れる前に、釉薬を拭き取って、胎土に含まれる鉄分が赤く発色する景色を意図的に見せています。
 また、釉薬を完全に削り取ってしまうのではなく、拭き取ることにこだわって、わずかに残った釉薬成分や胎土に含まれる鉄分が酸化した時、より強い赤に発色することを狙っていたようです。白い長石釉のかかった釉下は、胎土の白い色が透けて見えています。また「鬼板(おにいた)」と呼ばれる鉄分を多く含む泥で草を描いています。 

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志野四方鉢  29cm

 魯山人の志野としては大作と言っても良い、堂々とした仕上がりと大きさのうつわです。魯山人が志野を焼き始めたころは、美濃から産出するもぐさ土も使っていたようですが、もぐさ土は粘りがなくパサパサしていて、細かな作業や薄造りの作品の製作には不向きでした。また、魯山人は赤味のよく出た仕上がりを好んだために、彼は信楽産の土を採用したと伝わっていますが、さらに強い赤を出すために、鬼板と呼ばれる、鉄分を多く含む化粧泥で表面を覆いました。そして、その化粧土を掻き落として絵や模様を描き、白い長石釉を掛けて焼き上げ、赤と白が激しく交じり合う表情を生み出しています。

 当時の美濃では、釉薬を作るための良質な長石の確保が困難だったため、京都の実業家で魯山人の大パトロンであった内貴清兵衛の力添えを得て若狭から取り寄せたと言われています。まるで焦げたかのようにカリカリに焼きあがった鬼板の化粧土の上に、こびりついたかの如くに見える白い長石釉が荒々しい表情を見せています。作品としては大作だと誇れるものだと私は思うのですが、うつわとしては主張が強すぎるとも考えます。
 皆様はどうお感じになるでしょう。

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鼠志野 中鉢  直径28cm

 鼠志野は胎土の上を鬼板の化粧土で覆いながら、鬼板の色が透けて見える頃合いの厚みで長石釉をかけた焼物です。赤とも濃い茶色ともつかない鬼板の発色の上に白い膜がかかるので、見た目の色が鼠色やチョコレート色にみえるわけです。見込みには魯山人が良く好んで描いた「阿や免(あやめ)」が描かれています。
 掻き落として描いた絵の部分には白い土で象嵌(掻き落とした窪みに白土を埋め込む)をしているようです。裏面には丸い高台を作っていますが、その内側に焦げてこびり付いたような輪を見る事ができます。これは土の重みで、焼成中、高台の内側が沈み込まないように粘土で支えを作った跡です。これも白い土を用いず、鼠志野の場合は茶色い鬼板で作るということが桃山の頃からの習わしです。
 このような古陶磁器の約束事も、魯山人はパトロンだった数寄者たちに教わっていたのでしょうね。うつわには金で修理が施されていますが、これも魯山人が行ったものだと考えられます。

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集合写真、左手奥:志野茶埦 直径12cm×高さ9cm
     左手前:志野 さけのみ 直径4.5cm×高さ4.6cm
       右:絵志野芒文四方平鉢 18cm
高台写真、手前:志野茶埦、奥:志野 さけのみ

 「志野茶埦」「志野さけのみ」「絵志野芒文四方平鉢」を集合写真で見ると、ひとつひとつのうつわに施された魯山人の作為(さくい)というか、たくらみが手に取るようにみえてきます。茶碗は陶器で作ったものですから、土遍の「埦」の漢字を使い「茶埦」と箱書きしています。こんな所にも、魯山人のこだわりが見えます。
 茶埦全体にほのかな赤い発色が見られながらも、土見せの高台を見ると赤くなり過ぎていません。土の配合で調整して狙ったのでしょうか。ごつごつして荒々しい表現をされがちの志野にあって、やさしい肌色で形も素直に丸い、碗なりに作られています。高台は太く安定ある形です。この太くおおらかな高台は、桃山期のうつわではあまり見かけませんが、魯山人は好んでいたのか、うつわの高台などでも度々見かけます。腰のあたりには長石釉に小さな穴を見ることが出来ます。柚肌(ゆずはだ)と呼ばれる景色で、胎土に含まれていた空気が抜け出た跡です。

 打って変わって、「志野さけのみ」「絵志野芒文四方平鉢」はどちらも鬼板で化粧をして、強い赤色を出させています。「絵志野芒文四方平鉢」は表に厚く長石釉を掛けて純白の表情をさせていますが、よく見ると釉薬の薄い部分からは鼠志野的な表情も見つけることが出来ます。裏は真逆の激しい赤い土見せとしています。桃山期の志野にはよく小さな足が付けられているのですが、このうつわには足も高台もつけずに焼いています。裏の四方の角近くに焼成時の目跡(土で作った支えを用いた跡)を見ることが出来ます。
 「志野さけのみ」は「絵志野芒文四方平鉢」の表面のように厚く均一に長石釉を掛けず、斑(むら)が出るような掛け方をしています。かといって鼠志野の仕上がりでなく、赤志野の仕上がりです。赤志野と鼠志野は作る手順は同じだそうですが焼き上がりの景色で呼び分けをするようです。
 魯山人は、もっと長石釉が薄くかかり赤が強く出て、カリカリに焦げたように焼きあがった「紅志野(べにしの)さけのみ」も作っていますが、ちょうどこの「志野さけのみ」の底面のような色合いと風合いです。

魯山人と志野3料理編につづく

食知新

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