BLOGうつわ知新2021.04.29

呉須と呉須赤絵1

備前や織部、古染付といった焼物ごとにうつわをご紹介。京都・新門前にて古美術商を営む、梶古美術7代目当主の梶高明さんに解説いただきます。 さらに、京都の著名料理人にそれぞれの器に添う料理を誂えていただき、料理はもちろん うつわとの相性やデザインなどについてお話しいただきます。

今月のテーマは「呉須と呉須赤絵」です。
400年以上も前に中国で生み出された歴史あるうつわについて、梶さんに解説いただきました。1回目は呉須と呉須赤絵の歴史やなりたち。そして2回目はそれぞれの器の見方や解説。
そして、3回目は、イルギオットーネの笹島保弘シェフとのコラボレーションです。
笹島シェフが歴史あるこの中国のうつわに現代的なイタリアンを盛り付けてくださいます。

「呉須と呉須赤絵の世界」をお楽しみください。

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梶高明

梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。

呉須と呉須赤絵

中国の陶磁器の一大産地の景徳鎮(けいとくちん)については皆様も話をお聞きになったことがあるでしょう。今月はそこから400 km くらい南へ下ったところの漳州窯(しょうしゅうよう)という別の産地をご案内いたします。景徳鎮で生産された古染付についてはすでにお話をいたしましたが、それと同時代の約400年前の中国の明末期に生産された焼物のお話です。
ここ漳州窯製品は、刺繍のハンカチで有名な汕頭(スワトウ)の港から出荷されたことから、別名スワトウウェアとも呼ばれました。様々な種類の焼物が生産されましたが、その主な輸出先は日本でした。桃山時代末期から江戸初期に我が国に到来した漳州窯陶磁器の中で、染付の絵付けの製品は「呉須(ごす)または呉須手(ごすで)」と呼ばれ、色絵のものは「呉須赤絵(ごすあかえ)」と呼ばれています。名前だけではイメージが湧いてこない人も、実物を見れば、「なんだ。これか。」というくらいに見慣れたうつわだ思います。
私たち日本人の日常にすっかり溶け込んでいて、日本人によって今でも作り続けられているうつわです。そのため、特に「呉須赤絵」のうつわは「有田焼じゃないのか。」「清水焼でしょ。」と思い違いをされていても仕方ないようなうつわです。
また「呉須または呉須手」のうつわは、他の染付磁器と混ざり合っていて、骨董好きの方でなければ明確に区別もできず、単に「染付」と理解されているのが現状でしょうか。
まず「呉須赤絵」の名前を「呉須」と「赤絵」に分解して、その意味からお話を始めて参ります。
「赤絵」というのは、赤い色だけを使って描いた陶磁器ではなく、一般的には赤・青・黄色・緑・紫などの色釉(いろぐすり)を用いて「上絵(うわえ)」を描いた陶磁器を意味します。つまり「赤絵」は「色絵」と同じ意味なのです。
漳州窯の陶磁器も他の多くの陶磁器と同じく「うわぐすり」と呼ばれる透明、または不透明の釉薬をかけて、窯で焼成されます。そうすると素地の表面をガラス状の皮膜で覆った、ホテルで使われる白いお皿と同じような姿に焼きあがります。「上絵」とはその表面上に色釉で描いた絵のことです。染付のようにガラス被膜の下に描かれた絵とは別のものと理解しておいてください。

さて次に「呉須」と言う言葉ですが、これには2つの意味があります。
一番多く使われる意味の「呉須」は、染付の絵を描くのに用いる染料(酸化コバルトまたはその鉱物)のことを指します。陶磁器の釉薬(ガラス状の皮膜)の下に描かれている青色の絵付け材料(染付)です。
他方、漳州窯で生産された染付のうつわのことも「呉須または呉須手」と呼ぶのです。ひとつの言葉で染付の絵付け材料と、同時に、染付製品のことも指しているので実に紛らわしいことです。

さらに、「呉須」という言葉の表記が「呉州(ごす)」や「昴子(ごす)」等もあるために生じる混乱をスッキリさせましょう。
一番目は、「呉州(ごす)」という表現です。「呉須と呉須赤絵」の作られた漳州窯が、昔、中国南方に存在した「呉」と言う国と関係があるから「呉州」と書くのだと言われています。
二番目は、「昴子(ごす)」という表現です。京都で代々続く永楽家では、江戸後期〜大正期の頃は、「昴子(ごす)赤絵」と多くの作品に記していました。この「昴子」と言うのは、中国元代の文人画家の「趙子昴(ちょうすごう)」に由来するのではないかと言われています。高名な「趙子昴」は達者な絵を描いたのですが、「呉須」の絵付けは幼稚なので、「子昴(すごう)」の名前の文字順を逆にして、「昴子(ごす)」と呼んでからかったのだと言うのです。
もしかすると、永楽家は自ら手がけた作品の出来栄えを、へりくだった意味で「昴子赤絵」と記していたのかも知れません。

ここまで「呉須」についてお話させていただきましたが、不器用な私はこの言葉の解釈にずいぶん混乱させられた経験があるので、皆様が同じ罠に落ちないように解説をさせていただきました。
漳州窯の陶磁器には、「呉須」「呉須赤絵」だけでなく、「赤呉須」「青呉須」「胆礬(たんぱん)呉須」「呉須青」などの表現が用いられる製品もありますが、混乱する恐れがあるので、いまはお話を控えさせていただきます。

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漳州窯の「呉須と呉須赤絵」は景徳鎮で焼かれた磁器とは様子が異なります。ぽってりと肉厚で、窯の中で多少変形していても気にせず出荷されていたおおらかさが見受けられます。絵付けは早く、強い筆致が面白いのですが、ここが理解できないと、単に乱雑な絵付けのうつわと言う印象を持たれるかもしれません。染付の呉須は暗い色合が多いです。万年筆のブルーブラックの色合いですね。
景徳鎮のうつわの素地は白くて上質、呉須赤絵の素地は異なり、例れえば、白い雑巾をそこそこ使い込んで汚れたような色をしています。「呉須赤絵」はそれを白いうつわするため、透明度の低い白濁した釉薬を用いて、本来の素地の色を覆い隠して白く見せています。もし素地の色に強いクスミがあった場合や、白濁した釉薬のかかり方が薄かった場合は、素地の色が表面に透けて見えて、うつわ全体が黒みを帯びた白色になります。そのことは、釉薬の上に重ねて焼き付けられる色絵の色鮮やかさを失わせてしまいます。そうなると、せっかくのうつわも、高い評価を得ることがでず、つまり「あがりが悪い」と言われるのです。呉須赤絵の白濁した釉薬は例えるなら、イチゴにかけるコンデンスミルクのような感じで、薄くかけるとイチゴの色が透けて見え、濃くかけると完全にイチゴの赤を覆い隠して白くなるのと同じ理屈です。
「呉須または呉須手」では、ガラス質の釉薬の下に染付の絵が描かれています。染付の絵の上に、「呉須赤絵」同じような白濁した釉薬をかけたのでは絵が隠れてしまいます。しかし透明度の高い釉薬を使うと、薄黒い素地の色が表面に出てしまいます。ですから、「呉須または呉須手」を焼く場合はなるだけ白い素地を用いているようですし、時には素地に白化粧を施している場合もあるようにも見られます。
最後に、景徳鎮の焼き物と漳州窯の焼き物の大きな違いをひとつお話ししましょう。
それは釉薬と生地の収縮率の違いによって生じる、虫喰いという景色が、景徳鎮の焼物には普通に見られますが、漳州窯には基本的には見られないということです。
たまに勉強を不足の陶芸家が、漳州窯の写しにも虫喰いを発生させて、写しを台無しにしてしまっているものを見かけることがあります。この点一つ押さえておきたい知識ですね。

呉須と呉須赤絵2につづく

食知新

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