BLOGうつわ知新2021.05.29

義山(ギヤマン)2

備前や織部、古染付といった焼物ごとにうつわをご紹介。京都・新門前にて古美術商を営む、梶古美術7代目当主の梶高明さんに解説いただきます。 さらに、京都の著名料理人にそれぞれの器に添う料理を誂えていただき、料理はもちろん うつわとの相性やデザインなどについてお話しいただきます。

今月のテーマは「義山(ギヤマン)」です。
西洋文化とともに日本にもたらされた義山について梶さんに解説いただきました。
1回目は義山の歴史や種類について。2回目はそれぞれのうつわの見方や解説です。
そして、3回目は、野菜をメインにしたフレンチレストラン「青いけ」の青池啓行シェフとのコラボレーションです。
青池シェフが輝く義山のうつわに彩美しい料理を盛り付けてくださいます。

「義山の世界」をお楽しみください。

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梶高明

梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。

義山(ギヤマン)2

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 これこそが「義山」呼ぶにふさわしい2種の蓋茶碗と四方向付です。と言いたいところですが、四方向付は恐らく「バカラ」を写した「江戸切子」ではないかと私は思っています。また千筋の蓋茶碗も欧州の産地不明なものですが、日本人の特別な注文品でしょう。このように多くのガラスのうつわには、刻印などが刻まれていないため、産地や年代の判定が困難です。「バカラ」も1940年以前の作品には、紙製のシールが残されているのを稀に見かけますが、「Baccarat 」の刻印が刻まれているのが常ではありません。日本人がバカラ社に自らのオリジナル設計で発注をするのが 1901年以降でありますから、1940年までの間に刻印のない品物が輸入されていたことが想像されます。料理屋では「義山」をさらに美しく輝かせて見せるため、うつわの下に南鐐のうつわを敷いてお使いになる事も多く見かけます。

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 左側の大きな蓋物は1800年代後半のバカラです。恐らくはキャンディーケースだったのでしょう。日本のうつわとしては使い勝手の悪いもののように見えます。ところが、蓋・身・皿と個別に見れば、蓋はともかく、身と皿は素晴らしい「義山」の鉢として楽しめるのです。
右側のコンポートも1800年代後半のバカラなのだそうです。ただしバカラといっても必ず切子とは限らず、質の高くない鉛ガラスも存在していて、これは型にはめてプレス成形されたものです。また透明度も低く弾いても澄んだ音がしないことから、鉛の含有率も低いことが見て取れます。しかし、日本のうつわにはないデザインなので、夏のお菓子を盛ってみたいと手に入れたものです。このように「義山」も切子風に見せたプレス成型のものもありますので、注意して見てください。

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 写真では伝わりにくいのですが、たっぷりしたサイズの鉢です。恐らく1800年代後半のバカラのものでしょう。日本人の注文品ではなく、西洋で平たいボウルとして使われていたものを、日本人が持ち帰ったのではないでしょうか。端午の節句に粽をのせて、あるいは清涼感ある夏の菓子をのせて茶会で使いたいものです。

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 左は肉厚なボディにシンプルで深く大胆なカットが施されています。女性は茶室で取り廻すことを嫌がるだろうと思うほど重たい鉢なので、それを思うと日本人の注文品ではないでしょう。入れられたカットがシンプルなので、ガラスを透して料理がハッキリ見える面白さがあります。これはバカラではなく他社製品かもしれません。実はバカラ社は経営問題で、同じフランスのサンルイ社 (Saint-Louis)と1816年~1829年の間、統合されていたのです。ですから統合期間後もサンルイとバカラの製品はとても見分けが難しいのです。これはそのような品ではないかと思っています。
 現在、バカラ社には中国の資本が大量に入り、中国企業のような様相を呈しています。一方、バカラより歴史が古いサンルイ社は、現在エルメスグループの企業になっています。そんなことで、日本人の多くはバカラを高く評価してきましたが、今後その見方に変化があるかもしれませんね。

 右側の瑠璃色の鉢は英国のブリストルグラス(Bristol)です。以前から稀にオークションで見かけることはあったのですが、手に入れるまでの気持ちにはならなかったのですが、ついにある日、魔がさして落札したのです。ところが落札の時点では、このガラスの正体がわからなかったのです。オークションの出品主に尋ねても、インターネットで様々な言葉で検索してみても、何の手がかりも見つけられませんでした。
 ある日、私のアシスタントのひとりが白洲正子さんの本で類似品の写真を見たことがあると、手がかりを示してくれました。その本にはフランス製と思われるガラスと記されていました。これで一件落着と思ったら、ある日、弊店のお客様のひとりが「ブリストルかな?」と呟いて、後日、その資料をご持参くださいました。その資料にはこの作品と同じデザインのうつわが数種類紹介されていました。そして解説には、1921年に東京の島津邸に於いて島津斉彬侯の偉業を称えた「薩摩切子陳列会」が開催され、そこにこの「ブリストルグラス」が「薩摩切子」として出品されていたというエピソードが紹介されていました。上流階級の名士の所有物だった品々に紛れていたため、誰もがその真贋に疑いの目を向けず、「薩摩切子」と誤解され陳列されていたのだそうです。
 このことは後日、訂正されたようですが、18世紀後半から1920年まで生産されていたこの「ブリストルグラス」も、欧州から押し寄せた文明開化もののひとつとして「義山」の仲間にいれてやりたいものです。私は、5年ほど前にイギリスを訪問しロンドンから電車で2時間弱のブリストルの街近くまで足を延ばしましたが、出会った人でブリストルグラスを知る人は誰もいませんでした。案外日本の数寄者たちの所有物だったからこそ、綺麗に保存されているのかもしれません。2009年にサントリー美術館で開催された「一瞬のきらめき まぼろしの薩摩切子」展にもブリストルグラスは参考出品されていたそうです。

義山3につづく

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