BLOGうつわ知新2021.06.26

祥瑞1

備前や織部、古染付といった焼物ごとにうつわをご紹介。京都・新門前にて古美術商を営む、梶古美術7代目当主の梶高明さんに解説いただきます。 さらに、京都の著名料理人にそれぞれの器に添う料理を誂えていただき、料理はもちろん うつわとの相性やデザインなどについてお話しいただきます。

今月のテーマは「祥瑞」です。
染付のうつわのなかでも緻密な文様が特徴でファンの多い祥瑞について梶さんに解説いただきました。
1回目は祥瑞が生み出された歴史的背景や特徴について。2回目はそれぞれのうつわの見方や解説です。
そして、3回目は、野菜をメインにしたフレンチレストラン「青いけ」の青池啓行シェフとのコラボレーションです。
青池シェフが祥瑞の個性をひきだす料理を盛り付けてくださいます。
「祥瑞の世界」をお楽しみください。

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梶高明

梶古美術7代目当主。京都・新門前にて古美術商を営む。1998年から朝日カルチャーセンターでの骨董講座の講師を担当し、人気を博す。現在、社団法人茶道裏千家淡交会講師、特定非営利活動法人日本料理アカデミー正会員,京都料理芽生会賛助会員。平成24年から25年の二年間、あまから手帖巻頭で「ニッポンのうつわ手引き」執筆など。 全国の有名料理店と特別なうつわを使った茶会や食事会を数多く開催。

祥瑞

 今月は「祥瑞(しょんずい)」のうつわについてお話させていただきます。
まずは、「祥瑞」の言葉が持つ意味から探っていきましょう。「祥」は「吉事の前触れ」を意味し、「瑞」は「みずみずしく美しいこと」の意味を持っています。そして、ふたつの文字を合わせて「祥瑞(しょうずい)」と読むと「うつくしい、めでたい兆(きざ)し」という意味になります。また、これを「祥瑞(しょんずい)」と読むと、中国の明代につくられ、日本の桃山~江戸初期に日本に渡来した陶磁器のなかでも、ある特徴を持ったものを指す言葉となるのです。

 私はいままでに数え切れないほどのうつわを見て参りましたが、絵が描かれているうつわの、そのほとんどには、縁起の良い模様が施されていました。ちょうど着物の文様と同じように、うつわの文様も、大概は富貴・幸運・長寿の意味が好まれていたのでしょう。そしてこの「祥瑞(しょんずい)」のうつわは、その名前自体が吉兆を意味するほどに、それらのうつわたちの中でも特別なうつわだった、ということですね。

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 2020年11月に「古染付」についてのお話をさせていただきましたが、その景徳鎮で焼かれた「古染付」家族のひとりである「祥瑞」は、日本の茶の湯に深くかかわった特徴を持った焼物とお考えいただいて間違いありません。
 さて、「わび茶」は千利休の時代に完成したと言われていますが、利休の時代における美的基準は、ひと目で読み取れるところに存在する、明らかで単純な美よりも、深く読み込むようにしてようやく浮かび上がる渋い趣を高く評価したようです。そのような深いところに存在する美は、京や堺に居住した富裕層が国内外の文化に接し、美術品を蒐集することで手に入れた高い数寄の感性(こだわりの美意識)の中にあったのです。その感性にふれ、審美眼を養い、互いの情報交換をするための最高の場所が茶会であったため、利休をはじめとする茶人や有力数寄者のもとに権力者や富裕層が集まったのだと考えられます。

 しかし、そもそも審美眼や数寄の感性は、ものの見どころや鑑賞法を教わったからと言って育つものなのでしょうか。むしろ、その人の生い立ちや、交流をもった数寄者同士の関りの方が、その感性の成長に大きく影響を及ぼすのではないかと私には思えます。

 利休の後の茶の湯を牽引した古田織部や小堀遠州たちは、下剋上の世の中を勝ち上がってきた大名茶人だったので、彼らの美意識の中には自らの力を強く誇示したい傾向が見えるように思えます。それが、丸い茶碗をわざわざ歪ませることや、釉薬の変化だけで飽き足らずに、積極的にうつわに独特の絵模様を添えることであったのでしょう。深い趣を味わうことよりも、人々の目を素早く引き付けるための魅力作りに重きを置いた結果ではないでしょうか。
 同様に、利休の提唱した「わび茶」の継承者でありながら、大名としての顕示欲が強かったために、わざわざ明国から取寄せた染付磁器や華やかな色絵磁器を茶の湯に持ち込み、やがて彼らは明らかに利休とは異なる独自の方向を見出していったのだと思えるのです。

 古田織部は慶長20年(1615年)、徳川家康への謀反の嫌疑をかけられ、切腹させられてしまいます。しかし、利休亡き後の茶の湯の牽引役として、それまでの約20年間、実に大きな足跡を残しました。特に「織部」という彼の名前をいただいた向付は、実にユニークな形と絵付けを施されたうつわです。
 ところが織部の切腹の後は、罪人が手掛けたうつわの生産は止められ、大量廃棄され、商いの最前線からも大急ぎで姿を消してしまいます。産地であった美濃地方でも、ろうそくを吹き消したように消滅した織部のうつわですが、明代末期の景徳鎮の窯では、まるで織部焼のその後の進化を引き継いだかのような展開をみせています。つまり、織部焼の向付にみられたように、鋳型を使って様々な形に成形された厚手の「古染付」の向付は、動植物などの多様な形が織部焼に追加されたように生み出されていきます。そして、それら「古染付」が本格的に日本にもたらされたのが、まさに織部の死後からまだ程ない時期だったのです。

 豊臣秀吉から徳川家康へと権力が移行する時期に活躍したのが古田織部ならば、織部亡き後、徳川幕府の基礎を作った家康から二代将軍秀忠の時代、日本の茶の湯を牽引したのは小堀遠州でした。人は先人の残した仕事を引き継ぐ際、そのまま継承するのではなくそこに新たな自分の色を持ち込もうとします。

 利休が完成した「侘び茶」に、古田織部が「歌舞(かぶ)いた」ものや、「ひょうげた」表現を茶の湯に持ち込んだように、小堀遠州はさらに「綺麗さび」と呼ばれる彼なりの表現を持ち込んだと言われています。明代末期の景徳鎮への注文品に至っても彼らの好みは大きく反映されたと考えられています。織部の影響が色濃く残された、鋳型成型を中心にした「古染付」に対して、小堀遠州が海の向こうの明国に注文したのが、「古染付」を遠州好みにもう一段進化させた「祥瑞」だったのではないかと言われています。

 「祥瑞」が日本に渡ってきたのは、明国滅亡前の最後の皇帝、崇禎帝(すうていてい/1628年~1644年)の時代だったとされていますが、それでは「祥瑞」の特徴について、「古染付」と比較して箇条書きにしてお話をさせていただきましょう。

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 いくつかの特徴は「古染付」と共通するものがありますので、それに関しては軽く流してまいります。その詳しい説明が必要な方は古染付の解説月に戻ってご覧ください。

①虫喰いがある。(古染付と共通)
②高台に砂が付着している。(古染付と共通)
③高台内側に放射線状に高台を削り出したカンナ跡が多く見られる。(古染付と共通)
④生がけである。(古染付と共通)
⑤染付の呉須が大変鮮やかな瑠璃色を呈しているものが多い。
⑥幾何学的な模様を多用している。
⑦高台内に「五良大甫 呉祥瑞造(ごろうだゆう ごしょんずいぞう)」と記されているものがある。
⑧釉薬の透明感が強く、輝きが強い。
⑨古染付より、白く上質な磁胎が使われている傾向が見られる。
⑩畳付きへの砂の付着を嫌って、高台部分の釉薬をやや幅広に削り落としていることも見受けられる。
⑪虫喰いを嫌って、口縁部分釉薬を削って、鉄釉を塗っていることも多く見られる。
⑫古染付型物向付同様、日本向けに作られ、他国では見られない。
⑬茶道具を中心に発注された傾向がある。

上記のように「古染付」と「祥瑞」の特徴は、多くのところで重なっています。
しかも「古染付」から、ある日を境に突然「祥瑞」が発生したわけではないのです。そのため、両方の特徴を合わせ持つものもたくさん見受けられます。「古染付」から「祥瑞」への移行途中と言うべきものも多く、明確な線引きはかなり困難であると思ってもよいかもしれません。

それでは上記を項目単位でご説明させていただきます。
① 「古染付」「祥瑞」共に釉薬と磁胎の収縮差が、うつわに虫が喰ったかのようなカケに似た景色を生み出しました。
② 「古染付」「祥瑞」共に、うつわ底部の釉薬が窯の底部に固着しないように砂を撒いたため、それが高台周辺に付着しています。
③ 「古染付」「祥瑞」共に、円形の高台を削りだして成形するときに使ったカンナが、高台内で跳ねて生み出した削り跡です。
④ 「古染付」「祥瑞」共に、天日乾燥ののち絵付けし、釉薬をつけて焼成したということで、低い温度で一度素焼きをしてから絵付けをする工程はまだなかったということです。
⑤ の呉須の色の違いについてですが、「古染付」ではやや沈んだ青色が多くみられることが特徴ですが、「祥瑞」では紫に近い青、つまり瑠璃色と言うべき色が特徴です。

⑥ の幾何学的な模様を多用しているという点ですが、幾何学模様があれば「祥瑞」、無ければ「古染付」と言った具合に、このことだけで線引きをすると見誤ってしまいます。ただ「古染付」に比べて図柄が絵画的ではなく、模様のようにパターン化されている結果として、「祥瑞」は幾何学的な模様が目立っている、くらいに解釈したほうがよい品物も見受けられます。曖昧な表現ですが、はっきり断定してしまうと模様だけで線引きをしようとして、偏った見方になってしまうのです。
⑦ の高台内に記された「五良大甫 呉祥瑞造」の銘についてですが、これが何を意味するのかは諸説あり、単純に「五良大甫(ごろうだゆう)」なる人物が「祥瑞」を造った、ということにはならないのです。
紛らわしいことに、伊藤五郎太夫という伊勢の商人が実在し、1513年に明国から焼物について学んで戻った記録が残っていたために、この人物と「祥瑞」を結びつけて考えられる説もありました。
しかし、「祥瑞」が日本にもたらされたとされる約100年以前の人物が、その製造に関りを持ったということは、到底説明がつくものではありません。この銘が意味するものが特定の人物を指し示すものなのかどうかは、現時点の研究で明らかにすることはできませんので、むしろこの銘の解釈に捉われず、他の特徴を見逃さないように注意すべきだと思います。
⑧ ~⑪ にかけての項目は、「祥瑞」は日本からの強い要望によって、それまでの「古染付」より高い品質を求めた結果として現れた特徴だと考えられます。しかし全ての「祥瑞」にこの特徴がはっきり確認できるとは限らず、あくまでもその特徴を備えている傾向が強い、くらいの解釈に留めて、作品を見間違わないように気をつけてください。
⑫⑬ は日本人が新しい茶道具の流行をこの「祥瑞」の中に求めた結果このようになったのだと考えられます。従って茶道具は日本独自の物で、他国には不要であったため、日本に向けてのみ船積みされたのでしょう。ただし、茶道具には茶懐石のうつわも含まれていますので、茶碗や水指だけとは思わないでください。

 このようにして「祥瑞」について皆様にご説明してきましたが、この文章を書きながら、私自身ここまで詳しく書くことが良いことなのかどうか疑問に思ってしまいます。
 皆さんにお話しする前に、私も様々な勉強を積み重ねてきました。でも私が欲しいと思う情報が書かれた書籍や論文は、難しい言葉で表現することこそ良い資料なのだと言わんばかりに、凡人の私が理解するには意地の悪い文章ばかりでした。
 それらを読み砕くことは本当に苦痛でしかありませんでした。それを感じた自分なのに、私も皆さんに難しく説明しすぎてはいないかと言う疑問から逃れることができずにいます。
美術の本質は鑑賞して楽しむことです。私の表現力が乏しいために、いつも長文になってしまうことに、うんざりされているのではないでしょうか。
 もっと読みやすく、わかりやすく語ることを忘れないでおこうと思います。

 例えば「祥瑞」はとても細密な絵付けが施されて、高い品質を追い求めているので、多くの労力が払われています。しかし、そのことが必ずしも、うつわとして料理を引き立てるのに役に立っているわけではありません。私個人は、おおらかな古染付の方に魅力を感じています。どうでしょう、このくらいの簡潔さで充分なのかも知れません。
 そんなことを自問自答しながら、これからも毎月の投稿を続けて行こうと思います。

祥瑞2につづく

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